WAKAICHIKARA 2019 vol.94
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ましたか。小林 多分、2〜3歳の頃から遊びでボールを蹴っていました。父からも小さい頃からサッカーボールに触れていたと言われますので。理事長 先月までワールドカップで日本代表として出場されていましたがいかがでしたか。小林 同年代の仲間とともに世界で戦えるということは、自分にとって凄い経験になりました。同時にチームメイト、スタッフと共に本当にいいメンバーが揃ったと思います。僕たちの感覚では、予選で対戦したイタリア、エクアドル、メキシコよりも自分たちの方がある程度やれるのではないかという感覚と、決勝まで勝ち進めるという手応えを感じた中で、決勝リーグ1回戦の韓国戦 1995年、神戸の街にプロサッカークラブ「ヴィッセル神戸」が誕生しました。神戸市民・兵庫県民の皆様をはじめ、たくさんの人に支えられて、神戸の街と共に、平成を歩んできました。 今回、Jリーグだけではなく世界からも注目を集めている「ヴィッセル神戸」で、各世代の日本代表を経験し、チーム内でのレギュラー定着を目指す、小林友希選手と「神戸の街」、「若者の将来」について語り合いました。理事長 FIFA U_20ワールドカップポーランド2019お疲れ様でした。今回、小林選手には若い世代の一人として、神戸の街について、そして、将来についてお話をお聞かせいただけますか。小林 ありがとうございます。小さい頃から父に神戸青年会議所(以後、神戸JC)の話はよく聞かされていました。本格的にサッカーを始めるまでは神戸JCのイベントにはよく付いていきました。理事長 私もお父さんとは神戸JCで5〜6年ほど一緒に活動させていただきました。よく息子さんがサッカーで活躍している。と聞いていましたが、サッカーはどの様なきっかけで始めましたか。小林 元々、父がサッカーをやっていて、小さな頃から父が出場する試合を見に行くことがあり、6歳の頃にヴィッセル神戸のサッカースクールに入って本格的に始めたのがきっかけです。理事長 まわりにサッカーがあるという自然な形で始めることが出来たのですね。小林 そうですね。単純に家から一番近かいという事もあり、ヴィッセル神戸のスクールに入ることにしました。理事長 何歳くらいからボールを蹴ってい神戸JC 第61代理事長甲斐 健盛ヴィッセル神戸小林 友希若者の変革神戸スタイル※7月9日時点のインタビュー、現在はFC町田ゼルビアに育成型期限付き移籍中。理事長対談222Kobe JC Wakai Chikara Vol.94 2019

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