WAKAICHIKARA 2019 vol.94
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するかわからなくなり、迷った時には父から考え方のヒントをもらい、自分自身で考えるようになりました。理事長 同世代の選手や後輩に伝えたいことはありますか。小林 ジュニアや自分より後輩のカテゴリーの方に向けて僕から言えるのは、僕自身もまだまだサッカーが上手いわけではないですが、ただ単にサッカーをするのではなく、常に考えながらやっています。例えば「ボールを受ける前にどこが空いているか」、「次どこにパスを出せば効果的か」など、今もですが考えながらやることで成長ができると思っています。小学生、中学生の頃から考えながらやることで成長できると思います。理事長 そのように具体的に考えながらやることが出来たのは何才くらいの頃からですか。小林 そう思えたのは高校生くらいです。小学生の頃にも親に言われていましたが、小学生の頃はこれが本当に意味あるのかな?と思って考えながらプレーする意味とかを理解していませんでした。小学生のうちからそれを理解してやるのは難しいですが、それができることによってより高いレベルでの判断などが出来るようになると思います。ジュニアや自分より後輩のカテゴリーの方にも頑張って考えて出来る様にやっていってほしいと思います。理事長 小さい頃から生活してきた神戸の街に対してどのように思われますか?また、休日はどの様に過ごされているのか教えてください。小林 僕自身、生まれた時からずっと神戸市西区の西神に住んでいます。最近は三宮に出ることは少なくなりましたが、遠征で色々な国や日本各地に行って、神戸に帰ってくると落ち着きます。神戸には海と山が粘り強く対応するという作戦でしたが、結果、0対0のPK戦で負けました。僕たちピッチで戦った選手は周りから「惜しかったね。」と言われましたが、ピッチの中では単純に組織やチームワークとか言っている場合じゃないというほどに、個人レベルの能力差を感じました。日本の選手は細かい動きが速いと言われますが、イングランドの選手は走るスピードであったり、プレッシャーの中でどれだけ技術を出せるかという部分において、日本代表の選手との差はかなりありました。今後、個々の能力を上げていかないと、日本が世界と戦っていくには難しいと感じました。そこからは、日々の練習や筋力トレーニングをおこない、個人の力を上げなければいけないというきっかけになりました。理事長 自分のトレーニング方法や目線も変わりますね。小林 U_17ワールドカップが自分の中での基準になりました。理事長 やはり、高いレベルでの試合をしないとわからない部分がありますね。小林 わからないですね。世界をまだ知らないのに、世界はこうだから頑張れと言われても、自分自身でイメージが出来ないと思います。実際に戦うことで、何が足りないかを、実際にイメージ出来た事が非常にいい経験となりました。理事長 神戸JCにも在籍されていましたお父さんから受けた刺激を具体的な教えてください。小林 父からはサッカーの全てと言っていいほどの刺激を受けました。どちらかというと教え込むというよりも、自分で考えさせるという指導をやってくれていたのかなというのを今になって思います。子供なので理解はできていませんでしたが、自分ではわからないことがあって、努力にしても何を努力してくる選手もいましたので、刺激はかなり受けました。理事長 普段のヴィッセル神戸と、日本代表でプレーする場合では心構えは違いますか。小林 チームはチームで、ファンやサポーターを代表して戦っている責任感や誇りという部分では変わりません。ヴィッセル神戸だと色々な年代の方がいますが、年代別の代表になるとやっぱり同年代が多いこともあり、大会に至るまでに多くの選手が招集されました。一緒に戦ってきた仲間の分も、頑張らなければいけないという責任を感じました。理事長 15年のサッカー人生で印象に残っている出来事はありますか。これがあったからサッカー人生が変わったなどのターニングポイントはありますか?小林 2つあります。1つは、ヴィッセル神戸のスクールに通っている中で、ヴィッセル神戸ジュニアという下部組織のセレクションがありました。自分では理解していませんでしたが、漠然とサッカーをやってきた中で友達が参加してみようと誘ってくれました。自分自身はセレクションという意識はなく、実際に受けて運よく受かることができ、プロサッカー選手を目指す枠の中にいるということを認識したことが1つ目のターニングポイントです。理事長 そこでプロを見据えたということですね。小林 そうですね。小学3年生の頃なので考えは甘いですが、プロということが頭に浮かんだのがその頃です。もう一つが17歳でU_17ワールドカップに出場した時に、1回戦でイングランド代表と対戦したことがターニングポイントです。イングランドの個に対して、チームとして日本らしく組織としてでの失点で負けてしまった事が悔しかったです。理事長 トーナメントの一発の怖さという事ですね。小林 そうですね、身をもってトーナメントの怖さを体感しました。理事長 世界中のライバルたちと対戦してみて感じた事はありましたか。小林 同年代の世界に目を向けると、U_20ワールドカップ出場選手の中にはヨーロッパのトップチームで活躍している選手が数多くいて、既にA代表に招集されている選手もいます。やはり自分たちとしても刺激になりました。日本ではこの年代でA代表に参加してヨーロッパのトップチームで活躍する選手は少ないのですが、そこまで実力差を感じたわけではないです。ただ、違いを出理事長対談若者の変革 神戸スタイル223Kobe JC Wakai Chikara Vol.94 2019

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